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【沿革】 |
盛岡の法泉寺は、江戸時代前期(1624年〜44年)、東禅寺の住職・東岩和尚によって開かれました。それから数十年を経て寛文十一年(1671年)、南部第二十九代重信公が、第三十代行信公の母堂の菩提のために建立(再興)して、法泉寺と称したとされます。
藩政時代、法泉寺の付近に、幕府から預かり人だった学僧・方長老の居所がありました。二十四年間にわたる方長老の滞留中、藩主重信公をはじめ諸公は多くのことを学び、藩に多大な功績を残した人物です。そのひとつに造園があります。法泉寺の庭も方長老の作庭術によるもので、盛岡三大名園の一つとして知られました。 |
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【庭園】 |
盛岡の法泉寺の庭は方長老の作。古来盛岡三大名園の一つ。山の斜面を利用し、湧き水の池を中心に樹齢300年以上の老松・シダレ桜・モミなどの大樹を骨組みとし、式を彩るツツジや紅葉が風情をそえている。また自然岩の山灯籠が庭の目となっているが、人工を感じさせない造園構成は見事である。 |
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【建造物・寺宝・文化財】 |
本堂、庫裡は、戦後再三改築され、面目を一新しているが、建立年代不明の小さな山門のみが、古色蒼然として時代を物語っている。
・本尊 釈迦牟尼仏
延宝二年(1752年)七月八日開眼安座。
・一石一字妙典経塚碑
享保十一年(1726年)建立。丸い扁平の小石に経文を一字ずつ墨書したものが碑の下に奉納されている。
・飢饉供養塔
天明三年と天保九年の凶作による餓死者のための供養塔二基が建立されている。 |
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【史跡・伝説】 |
・中井汲泉画碑(1892〜1970)
中井汲泉は京都出身の日本画家であるが、盛岡滞在二十七年のうち十四年間、盛岡中学校で教師を務めた。戦中・戦後を通じて、広範な造形活動によって、当地方文化の啓蒙に寄与された。追慕する知己、教え子によって、盛岡には珍しい画碑が、汲泉が好んで来遊した当寺境内に、昭和四十九年建立された。
・五味清吉の墓
盛岡出身の洋画家。大正、昭和にわたり、中央画壇で活躍した。昭和二十九年八月十九日没
・金森兵部少輔類錦の墓
美濃国郡郡上八幡城主であったが、領地を召し上げられ、南部藩にお預けとなり、六年後盛岡にて没し、当寺に葬られた。
・島立甫の墓
医師であり、化学家であり、日本で始めて写真の感光材料であったヨードを海草から造り出した人として知られ、また、ガス燈の創始者でもある。
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