法泉寺の庭園は、方長老の作と伝えられている。 方長老は正しくは規伯玄方と言い、長崎県対馬に於いて対朝鮮貿易を一手に担っていた外交僧であったが、国書改ざんの罪により、寛永十二年(1635年)盛岡に配流された。 赦免までの二十四年間、法泉寺門前の以酊庵に居を構え、藩主の厚遇に浴しながら、盛岡の産業・文化(清酒、みそ、醤油)の開発に貢献するところ大いなるものがあった。造園術にもすぐれ、各所に造園の腕をふるったが、法泉寺庭園もその一つである。